国共内戦 白熱
4月3日:ハンガリーが我が国の領土になった!
4月3日:ハンガリーの人々が日本からの独立を宣言。
4月3日:日本がハンガリーを属国化。
ミクローシュ・ホルティ・デ・ナギィ…国王不在のままハンガリー王国摂政として辣腕をふるった人。
4月16日:イギリスはオマーンに対する宗主権を放棄。
史実では、1891年にイギリスの保護国となり、1971年に独立、国際連合に加盟している。つまり、史実より25年も早く独立を果たしたことになる。オマーン国民にとっては上々の歴史改変である。
4月27日:1 原子炉が新潟で完成。
5月21日:イギリスはイラクに対する宗主権を放棄。
史実では、イラクは1932年に独立した模様。オマーンとは逆に14年遅くなってしまった。
7月14日:イギリスはイエメンに対する宗主権を放棄。
史実では、南イエメン人民共和国の独立は1967年でした。
8月17日:シンチヤンが中国(共産党)との和平を受諾。条件は:元の状態への復帰。
共産党の勢い…
…止まるところを知らず。史実どおり、国民党は台湾に逃げ込むことになるのか……って、台湾は日本領ですから、国民党が逃げ込めるのは海南島しかないぜ。
8月26日:パナマで “右翼クーデター” が発生。
8月10日。
8月30日。
どんどん食い荒らされていく国民党の支配地。いよいよ国民党の命脈も尽きたか……と思っていたら、国民党が共産党占領地の一部を取り返した。白熱する攻防
9月20日。
どういうわけか、国民党の反撃が活発化。至るところで人民解放(ウソつき)軍の敗走が始まった。どうしたこと?
10月20日。
すっかり国民党が勢力を回復。何がどうなっているのか。
ただ、共産党の攻勢が最も激しかった6月時点でも、人民解放軍20個師団に対して国民党軍は100個師団以上と圧倒的な兵力差があったわけで、そうなると一時的な共産党躍進の原因は国民党軍の怠慢ということになってしまう。
怠慢の具体的内容を解明したいと思って、セーブデータの中身をいろいろと調べてみたが、結局のところよくわからんかった。
いずれにしても、事実は事実。史実と違って、このままでは共産党の敗北は必至である。
といって、なにも共産党を支援してやるいわれはないので、もう少し模様眺め。
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