扶桑、撃沈さる!
10月23日:第1輸送飛行隊がブラティスラヴァに到着。
10月23日:我が軍がブラティスラヴァにおいてパルチザン軍を破った。
「空挺降下で反乱勢力を蹴散らす」の図。
10月29日:第4機甲軍団がチェンストホヴァに到着。
11月1日:第24歩兵軍団がポズナニに到着。
11月1日:チェコスロヴァキアの人々が日本からの独立を宣言。
11月1日:日本がチェコスロヴァキアを属国化。
チェコとスロヴァキアに分割するとゲームパフォーマンスが悪化するので、まとめて独立。
国家元首のジャン・シロヴィー。史実では、チェコスロバキア独立後に首相と国防相を歴任。チェコとスロバキアに解体されたのちにナチス・ドイツの保護領としてのチェコの国防相を務めたため、ナチスへの協力の罪で禁固20年の刑を受けたらしい。
政府首班のルドルフ・ベランも史実における首相経験者。
11月1日:第27工兵軍団がシュテッティンに到着。
11月3日:第21歩兵軍団がキエルツェに到着。
11月5日:第27工兵軍団がダンツィヒに到着。
11月5日:第23歩兵軍団がビドゴシュチに到着。
11月6日:第24歩兵軍団がウーチに到着。
11月7日:第4機甲軍団がラドムに到着。
11月8日:第25歩兵軍団がトルンに到着。
11月9日:我が軍が敵ドイツ軍艦隊の攻撃をワッデン海にて受ける。
地中海からコペンハーゲン海軍基地に移動中の第3艦隊(加藤(寛)大将)がアムステルダム沖でドイツ艦隊と遭遇。
敵司令官はヴィッツェル大将。戦歴をながめてみると、9月から10月にかけてはイギリスのテムズ川の河口で英国の輸送艦隊を完膚なきまでに叩きのめしたようだが…今回の海戦の結果はこのとおり。
ドイツ軍損失:巡戦1隻、重巡2隻、軽巡2隻、駆逐隊1個小隊
日本軍損失:戦艦1隻、駆逐隊2個小隊
両軍の損害を並べてみるとどう見ても日本軍勝利だが、ここまで無敵を誇った帝国海軍にもついに戦没艦が…。
戦艦「扶桑」…1915年11月竣工。完成時は世界最大最強の戦艦であった。史実では同型艦の「山城」とともに1944年10月のレイテ海戦で沈没。この世界では史実より約1年も早く臨終を迎えたことになる。
「扶桑」はドイツ巡戦(巡洋戦艦)「シュレジエン」による砲撃で沈められた模様。このシュレジエン、巡洋戦艦っても、満載排水量14,218トン、全長127.6m、全幅22.2m、28cm砲連装2基と、せいぜい重巡並みの性能しかない。この程度の敵に撃沈されたというのは、少し悲しい。
11月10日:第27工兵軍団がエルビングに到着。
11月14日:第20歩兵軍団がルブリンに到着。
11月14日:第40歩兵軍団がザモシチに到着。
11月17日:第4機甲軍団がワルシャワに到着。
11月19日:第2軍司令部がワルシャワに到着。
1939年9月にドイツ軍に占領されて以来、4年2ヶ月ぶりに解放。
ワルシャワ…2008年現在の人口は約170万人。周知のとおり、第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたが、戦後、往時の町並みが復元され、1980年にユネスコによって「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録されている。
バルト海からの距離はおよそ350kmと内陸に位置しており、大陸性湿潤気候である。11月末ともなると、氷点下近くまで冷え込んでいるんだろうね。
11月20日:第27工兵軍団がケーニヒスベルクに到着。
11月23日:第2軍司令部がロムツァに到着。
11月30日:第1陸戦隊がメーメルで上陸を完了。
11月30日:第2陸戦隊がメーメルで上陸を完了。
12月1日:第2軍司令部がビェルスクに到着。
12月1日:第3機甲軍団がリヴォフに到着。
12月1日:第4機甲軍団がスヴァウキに到着。
12月5日:第2陸戦隊がマジルベに到着。
12月6日:第4機甲軍団がアリトゥスに到着。
12月6日:第26工兵軍団がコヴェルに到着。
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