« イタリアでクーデター | トップページ | キリシャ独立 »

2008/11/24

ベルリン封鎖

6月1日:我が軍がカターニャで敵軍と交戦。
6月1日:我が軍がカターニャにおいてイタリア軍を破った。

シチリア島で最後の戦い。

Hoi2_650

6月6日:第3機甲軍団がキュストリンに到着。
6月6日:第4機甲軍団がポツダムに到着。
6月7日:第2陸戦隊がカターニャに到着。
6月10日:第10山岳兵軍団がシュトラールズントに到着。

ついにベルリン封鎖の完成。

Hoi2_653

これでドイツ全軍、補給を断たれて青息吐息かと思いきや…

Hoi_005

ドイツの同盟国(属国)スロヴァキアの首都ブラティスラヴァから補給を受けていた。

もっとも、そのブラティスラヴァの備蓄にしたところで、こういう(↓)状況だから

Hoi_006

遠からず干上がってしまうことは確実なんだが、問題は、ドイツの同盟国がスロヴァキアだけじゃないことであって、

Hoi_008

滅亡寸前のイタリアはともかく、ハンガリーとルーマニア。

ドイツ軍280個師団の補給を賄うだけの体力が両国にあろうはずもないけど、のんびり兵糧攻めを楽しんでいる状況でもない。あまりぐずぐずしていると、東部戦線をかたづけたドイツ軍が舞い戻ってくるかもしれんではないか。

決めた。スロヴァキアに加えてハンガリーとルーマニアも粉砕する。

6月13日:第31山岳兵軍団がジェールに到着。

6月20日:ソ連で “ペルシアの州を返還” が発生。

これ、よくわからんイベント。

Hoi2Wikiには「ドイツ軍の猛攻撃によって多くの領土を失ったため、もはや我々には、ペルシアの州をかつての所有者に返還する以外の選択肢はないようだ」とか何とか書かれているが、領土を失ったのなら、せめてその時点での支配地を死守しようとするのが人情というもの。それをなぜ自ら身を削り落とすようなことをするのか。ロシア人の考えることはよくわからん。

ま、いずれにせよ、次のプロヴィンスがソ連からイランに返還された。

Tabriz/タブリーズ
Rasht/ラシト
Hamadan/ハマダン
Babol/バボル
Dasht-i-Kavir/カヴィール砂漠
Mashhad/マシュハド

6月21日:第41歩兵軍団がブラティスラヴァに到着。
6月23日:第31山岳兵軍団がペーチに到着。
6月23日:第40歩兵軍団がフリードリヒスハーフェンに到着。

6月24日:第43歩兵軍団がブダペストに到着。

ハンガリーの首都ブダペストを速攻で攻略。

Hoi_039

ブダペスト…『美しく青きドナウ』で有名なドナウ川河畔の都市。もともとは、西岸のブダと東岸のペシュト(ペスト)という別々の町が合併して形成された。1943年時点での人口は100万ちょっとというところ。

ともかく、ブダペスト陥落により、ドイツ軍の補給を支える備蓄庫はルーマニアのブカレストのみとなった。

6月25日:第20歩兵軍団がドレスデンに到着。
6月25日:第42歩兵軍団がブレスラウに到着。
6月28日:第46工兵軍団がオストラヴァに到着。
6月28日:第31山岳兵軍団がセゲドに到着。
6月28日:第23歩兵軍団がレーゲンスブルクに到着。
6月29日:第43歩兵軍団がミシュコルツに到着。


« イタリアでクーデター | トップページ | キリシャ独立 »

HOI 2 大日本帝国 雄飛4」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ベルリン封鎖:

« イタリアでクーデター | トップページ | キリシャ独立 »

最近のトラックバック

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31