イタリア半島上陸
イタリア上陸→アルプス越え→ベルリン封鎖作戦だが、最初のイタリア上陸でいきなり計画変更を余儀なくされることになった。
当初、ベルリンまでの最短距離ということで、アドリア海最奥部のヴェネツィアプロヴィンスへの上陸を考えていたのだが…上陸できる海岸線がない。
砂浜アイコンが表示されているプロヴィンスでないと、強襲上陸はできないのである。
残念だが…美しいベネチアの街を破壊せずにすんだことを幸いとして、他にこの付近で上陸作戦できるのは…ここか。
サンマリノ共和国にほど近い、リミニプロヴィンス。
ところで、このサンマリノ共和国って、人口わずか3万人前後の小国なんだが、平均寿命がやたら高い。2000年のデータだけど、男76.1歳、女に至っては83.8歳。びっくり。
4月1日:シベリアの人々が日本からの独立を宣言。
国家元首のアレクサンドル・コルチャック。ロシア革命後の内戦期における反革命軍指導者とのこと。史実では、革命後にイギリスの支援でシベリアのオムスクに樹立された反ボルシェビキ政府(オムスク政権)の指導者となり、一時はシベリア全域を掌握したが、内戦に敗れて政権崩壊後、赤軍に逮捕・処刑された。
しかし、この世界では赤軍の手から逃れ、どこかで捲土重来を図っていたらしい。
政府首班のピョートル・ボロゴズキについては、どう検索してもデータを発見できなかった。
4月7日:第4機甲軍団がパートレで上陸を完了。
4月7日:第3機甲軍団がパートレで上陸を完了。
4月10日:第4機甲軍団がコリントスに到着。
4月10日:第3機甲軍団がコリントスに到着。
4月10日:第4輸送艦隊がコリントスに到着。
そして4月12日。ついにイタリア半島(リミニ)上陸作戦の発動である。
リミニを守る敵軍は、かつてリビアの枢軸国軍最高司令官だったバスティコ陸軍元帥率いる民兵1個師団……?
民兵?……楽勝である。
4月14日:第2陸戦隊がリミニで上陸を完了。
4月14日:第1陸戦隊がリミニで上陸を完了。
ここからの進軍予定は下の図のとおり。第2軍(寺内元帥)がイタリア半島を南下してイタリア全土制圧を目指す一方で、大目標のベルリン封鎖を担うのは第4軍(畑元帥)。アルプスを越えて旧オーストリア領から一路北上。一気にベルリンを目指す。
« 私的世界大戦回顧録」更新 | トップページ | アルプス越え »
「HOI 2 大日本帝国 雄飛4」カテゴリの記事
- 突然最終回~中東和平成る(2009.01.30)
- ヨルダン、モンゴル、ビルマ独立(2009.01.27)
- 共産党と講和(2009.01.22)
- 国共内戦 白熱(2009.01.17)
- インド&パキスタン独立(2009.01.12)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント