ヨーロッパ戦線拡大
長らく隔日の更新ペースを維持してきましたが…もろもろの事情でかなり苦しくなっとりまして…3日おきということでカンベンしてください
3月16日:デンマークはドイツが降伏を求めるにおいて “軍隊を解体する” を選択したとのことです。
3月16日:デンマークがイギリス, イラク, フランス, オーストラリア, ニュージーランド, カナダ, 南アフリカ, ネパール, ブータン, イエメン, オマーン と ノルウェーとの軍事同盟から脱退。
3月17日:ドイツで “デンマークが我が国の要求を受け入れた” が発生。
わずか5日でデンマーク降伏。いやはや…。
史実ではほとんど戦闘らしい戦闘はなかったようだが、ここではドイツ軍によってコルディングプロヴィンスが占領されている。
ヒトラーはデンマークを同じゲルマン民族の国家とみていたため、国家元首クリスチャン10世はデンマーク政府とともにコペンハーゲンに留まることを許された。しかし、クリスチャン10世はドイツに対して恭順の姿勢で臨むばかりではなく、さまざまな有形無形の抵抗を示したという。
4月6日:ソ連はフィンランド冬戦争の終結において “すでに要求している条件で講和する” を選択したとのことです。
4月6日:フィンランドはフィンランド冬戦争の終結において “ソ連の要求に屈する” を選択したとのことです。
4月6日:ソ連で “フィンランド冬戦争の終結 ― フィンランドの受諾” が発生。
4月6日:ソ連がフィンランドとの和平を受諾。条件は:元の状態への復帰。
「かかってこい。相手になってやる」の名セリフでソ戦の理不尽な侵攻に抗して立ち上がったものの、やはり力の差はいかんともし難く、マンネルヘイム将軍を中心とするフィンランドの抵抗も、残念ながらここまで。
5月1日:イギリスはチャーチルの首相就任において “チャーチルを首相に任命する” を選択したとのことです。
やはり…。まあ、仕方なかろう。ここだけの話、チャーチルが首相の座に就いているほうが、今次大戦のフィナーレで展開されるであろう大英帝国打倒の楽しみも増すというもの。
5月2日:ドイツ と スロヴァキアがベルギーに対して宣戦を布告。
5月2日:ドイツ と スロヴァキアがオランダに対して宣戦を布告。
5月2日:ドイツ と スロヴァキアがルクセンブルクに対して宣戦を布告。
いよいよドイツ軍が西進を始めた。とりあえずマジノ線の正面に至るまでは、ほぼ史実どおりの展開になるだろう。
5月12日:ドイツがオランダを併合。
史実では、5月10日から17日までのわずか1週間でオランダは白旗を掲げたが、この世界での抵抗は10日間にも及んだ。
「それがどうした。結果においては何も変わらんだろう」という突っ込みはご容赦。ロッテルダムへの空爆も行われていないようだし、犠牲者は史実よりもはるかに少ないみたい、ということでいいじゃない。
もっとも、4年前に突如蘭印を攻撃して東南アジアを戦乱に巻き込んだあげく、インドネシアをオランダから奪った我が日本が言える立場じゃないけど。
それはともかく、ヴィルヘルミナ女王とオランダ政府はイギリスに亡命し、ロンドンで亡命政権を樹立した(はず)。
5月26日。
6月6日。
ドイツに負けじ、とばかりにソ連が持ち前の理不尽さをいかんなく発揮、バルト三国への理由なき侵略を開始した。
ドイツに張り合うというより、ドイツが起こした火事場で泥棒をするようなセコくも浅ましい行為に国際世論は沸騰。日本国内でも「ソ連、討つべし」の声が日増しに大きくなっていった。
はいはい。来年の6月か7月くらいまで待っていてください。
6月10日。
« 芸急本線 長浜台駅 | トップページ | 芸急路線図 最新版 »
「HOI 2 大日本帝国 雄飛2」カテゴリの記事
- シベリア 独立(2008.07.16)
- オートメドン事件とか…(2008.07.13)
- モンゴル 属国化(2008.07.10)
- プリモルスク独立(2008.07.04)
- ウランバートル進駐(2008.06.28)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92467/41426210
この記事へのトラックバック一覧です: ヨーロッパ戦線拡大:
コメント