防共協定 拒絶
12月28日:第1騎兵軍団がムーアヘッドに到着。
12月29日:第12歩兵軍団がオクラホマシティに到着。
占領が順調に進んでいるのはいいのだが、新たな問題が…。
占領地でパルチザン活動が軒並み25%に達する事態となった。
おいそれと守備部隊の徴兵もできないので、内地から守備部隊を引き抜き、配備することに。
1月5日:第2騎兵軍団がエルパソに到着。
1月6日:第3騎兵軍団がデモインに到着。
1月6日:第11歩兵軍団がロズウェルに到着。
1月8日:第1騎兵軍団がファーゴに到着。
1月11日:第2軍司令部がトピーカに到着。
1月13日:第31歩兵軍団がアマリロに到着。
1月14日:第3騎兵軍団がオマハに到着。
1月18日:第1騎兵軍団がビズマークに到着。
1月21日:第12歩兵軍団がイーニッドに到着。
1月23日:第2騎兵軍団がラスクルーセスに到着。
1月23日:第11歩兵軍団がアルバカーキに到着。
1月24日:第30歩兵軍団がロートンに到着。
約1ヶ月の船旅を経て、内地の守備部隊が米東海岸に到着。さっそく配備。
2月5日:第24歩兵軍団がタルサに到着。
2月5日:第3騎兵軍団がスコッツブラフに到着。
2月7日:第12歩兵軍団がウィチタに到着。
2月10日:第1騎兵軍団がディキンソンに到着。
2月15日:ドイツは防共協定において “イタリアおよび日本と協定を結ぶ” を選択したとのことです。
2月15日:イタリアは防共協定において “協定に調印する” を選択したとのことです。
駐独陸軍武官の大島浩とのちにドイツ外相に就任するリッベントロップとの間で下交渉がなされていたが、ドイツの外交政策に振り回されるのを嫌った大本営の鶴の一声で交渉打切りに。
ここで下手に協定を結び、将来的に三国同盟に発展した暁には、ドイツの対ソ戦略に振り回されてかえって行動の自由を妨げられることになるので、この判断は正しい。
また、このまま対米戦に勝利すれば、国際的孤立など笑い飛ばせるぐらいの国力(工業力、資源など)をゲットすることになるので、こんな協定は不要。
2月16日:第20歩兵軍団がスモーキーヒル川に到着。
2月17日:第12歩兵軍団がドッジシティーに到着。
2月18日:第3軍司令部がサンタフェに到着。
2月22日:第2騎兵軍団がシルヴァーシティーに到着。
2月26日:第22歩兵軍団がプエブロに到着。
2月29日:第20歩兵軍団がデンバーに到着。
3月1日:第11歩兵軍団がロスアラモスに到着。
3月4日:第1騎兵軍団がマイルズシティーに到着。
3月9日:第2騎兵軍団がトゥーソンに到着。
3月10日:第31歩兵軍団がアスペンに到着。
3月14日:第1軍司令部がキャスパーに到着。
3月25日:第1騎兵軍団がビリングズに到着。
4月3日:第13歩兵軍団がフォートペックに到着。
4月11日:第20歩兵軍団がグランドジャンクションに到着。
4月11日:第2騎兵軍団がフェニックスに到着。
4月12日:第11歩兵軍団がデラノピークに到着。
4月16日。
まあ、よろしいんじゃないですか。
今のうちに国民党にはできるだけ中国大陸を掃除(=軍閥を整理)しといてもらおう。
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