開戦
1936年1月1日、国家元首「大本営」は年頭の辞において、満州国に対する宗主権の放棄と中国大陸からの全面撤退を発表、国内外を驚愕に陥れた(はず)。そして、驚愕のあとには怒りが爆発したことだろう。
まず陸軍。「日露戦争以降、大陸で血を流した十数万の英霊に申し訳が立たぬ」と激怒。
次に“弐キ参スケ”。満州国に強い影響力を有した軍・財・官の5人の実力者(東条英機・星野直樹・鮎川義介・岸信介・松岡洋右)を指す。彼らの名前から「弐キ参スケ」「2キ3スケ」などと呼ばれた。
東條英機あたりは、軍部高官として“次なる一手”の存在を承知の上で、黙していたかもしれないが、鮎川義介(日産コンツェルンの創始者)などは真っ赤になって関東軍司令部にどなり込んだことだろう。もっとも、数年後には関東軍との関係悪化から、日産グループの満州撤退を企図することになるが。
さらに、日本国籍のまま満蒙開拓団として満州に渡った移民たちの間にも衝撃が走る。彼らは満州国への国籍変更を余儀なくされた上で、放り出される形になるだろうし。
「我が意を得たり」を肯いたのは、満州放棄論を展開した東洋経済新報の石橋湛山ぐらい。
それら国内外の不満が極限にまで高まった結果、これが起きる。
ただ、国内外の情勢の推移を考えると、この武力蜂起は“仕組まれたクーデター”の可能性が高い。要するに、大陸からの撤退に激昂している軍部や主戦派財界人・一部世論に対するガス抜き措置という位置づけである。
一連の大胆な奇策のウラに、実はとてつもない野望が隠されていることは、ほんの一握りの政府高官・軍首脳しか知らないことになっているのだから。とはいえ、ここでその遠大な計画の全貌を明かすわけにはいかない。つらいところだ。真相を知れば、きっと数十万の英霊も笑って許してくれるはず(ないか)。
とにかく、このクーデターは、史実よりも大規模かつ広範囲に及び、地方駐屯の陸軍部隊や一部の民衆暴動も巻き込む形で、表面的には成功。岡田啓介首相は自宅の押入れに隠れて難を逃れたものの、詰め腹を斬らされて内閣総辞職、林銑十郎陸軍大将を首班とする新内閣が成立した。
で、その林内閣、成立直後に驚愕の一手を打つ。
300年以上にわたる友好関係をブチ壊しにする愚行といわれても仕方がない。実際、オランダに恨みはないが、どうしても対○戦に必要なものを入手するためなので、ご容赦いただきたい。
日本本土から密かに南下し、洋上で待機していた第1艦隊(司令長官・山本五十六中将)および輸送艦隊搭載の第3軍司令部(司令官・西尾寿造大将)と第32歩兵軍団(司令官・山田乙三中将)が、宣戦布告と同時に、セレベス島北端の町・メナドへの上陸作戦を開始。第1艦隊の戦艦「長門」「日向」による艦砲射撃での支援のもと、作戦開始から3日後の2月29日に全軍上陸を完了。敵の抵抗はないに等しかった。
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