蘭印攻略 その2
3月20日:第32歩兵軍団がケンダリで上陸を完了。
3月20日:第13歩兵軍団がロンボクで上陸を完了。
3月20日:第10歩兵軍団がメダンで上陸を完了。
スマトラ島を占領。
パレンバンの原油をはじめ、相当量の資源が採掘可能。蘭印攻略終了後にはインドネシアとして独立させ、資源をたっぷり上納してもらおうと考えているのだが、ひとつ落とし穴が…。
インドネシアには初期の輸送船団が存在しないので、首都以外の島で産出する資源を船で運び出すことができないのだ。
これを解決するために、どこかのAARに書いてあったワザを使う。プレイ国をインドネシアにしてセーブデータを開き、生産画面で輸送船団を追加しておいてやる。その状態で再びセーブして、改めて日本でロードすればOK。
3月21日:第22歩兵軍団がフロレスで上陸を完了。
3月22日:第30歩兵軍団がスンバワで上陸を完了。
3月22日:第3軍司令部がマカッサルで上陸を完了。
セレベス島を占領。
アルファベットの“K”字型をした特徴的な形状の島である。環太平洋造山帯とアルプス・ヒマラヤ造山帯の合流点にある関係で、このような複雑な地形になったらしい。
3月24日:第32歩兵軍団がブルで上陸を完了。
3月24日:第23歩兵軍団(司令官・東条英機中将)がスンバで上陸を完了。
3月24日:第12歩兵軍団が西チモールで上陸を完了。
小スンダ列島占領。
3月26日:第22歩兵軍団がセラムで上陸を完了。
3月27日:第13歩兵軍団がソロンで上陸を完了。
3月27日:第31歩兵軍団がヘルマヘラで上陸を完了。
モルッカ諸島占領。“香料諸島”とも呼ばれ、古くは香辛料の産地として知られた島々。
3月28日:第32歩兵軍団がバボで上陸を完了。
3月29日:第12歩兵軍団がアガッツで上陸を完了。
3月29日:第23歩兵軍団がココナウで上陸を完了。
4月1日:第13歩兵軍団がアラレで上陸を完了。
4月2日:第31歩兵軍団がサルミで上陸を完了。
4月3日:第32歩兵軍団がビアク島で上陸を完了。
4月4日:第30歩兵軍団がメラウラーで上陸を完了。
4月6日:第23歩兵軍団がホランディアで上陸を完了。
オランダ領西ニューギニア占領。ただし、経済的な価値はないに等しい。
4月22日:第10歩兵軍団がスミタウに到着。
4月23日:第22歩兵軍団がマハカムに到着。
ボルネオ島占領。
これで蘭印(オランダ領東インド)攻略は終了。2月26日の開戦からわずか2ヶ月足らずでの速攻で、アジア・オセアニア方面におけるオランダ植民地のすべてを占領したことになる。史実とほぼ同様の快挙と言えよう。
だが、目的は占領を続けることではない。この戦果と引き換えにオランダから“あるもの”を手に入れるため、当面はオランダ政府からの和平交渉待ちである。
その一方で、蘭印(オランダ領東インド)攻略を終えた日本軍は、さらに東に移動。“次なる一手”のため、マーシャル諸島のクワジャリン島に集結した。マーシャル諸島は、第一次大戦の結果、日本が獲得した委任統治領。
5月16日。
まだ広西軍閥との戦いに決着がついていないというのに、気の早いことである。
5月17日。
“新疆王”盛世才が血迷ったか。
本来、新疆省政府主席である盛世才と中国・国民政府とは不即不離の間柄ではあるが、この年、盛世才は、中国内地からの干渉を嫌って新疆への入境に査証を義務化している。
「日本帝国主義勢力の浸透を防ぐため」と称して抗日戦に協力していた盛世才に対し、史実では、国民政府も表立った批判はできなかったが、この世界では日本は大陸から手を引いているので、盛世才の口実も説得力はないし、抗日戦自体があり得ない。
査証の義務化に対して国民政府が難癖をつけ、それに盛世才が過剰反応した、というのが事のいきさつではないだろうか。
もっとも、国民政府が広西軍閥と雲南軍閥に立て続けにケンカを売ったせいで、軍主力が大陸南西部に引きつけられており、北部が手薄になっているという状況を踏まえての行動だろう。
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