カタック沖海戦で圧勝!
チッタゴン-ディマプルのラインで英軍補給封鎖を完成させた日本軍、東に進軍して英軍包囲を狭めると同時に、いよいよインドに侵攻すべく、渡河能力にすぐれた第11工兵軍団を先頭にガンジス川を渡った。
11月18日、第11工兵軍団はカルカッタに進駐。
11月23日:チャドがヴィシーフランスから自由フランスに寝返る。
世界情勢にさしたる影響はない。
12月1日:第3・第4海兵隊軍団がアンダマン諸島に上陸。
第13歩兵軍団を乗せて11月27日にカルカッタに到着した第4輸送艦隊、ラングーンに帰港すべく、11月30日にカルカッタを出港した。
翌12月1日早朝、カタック沖200キロの洋上でイギリス艦隊に遭遇。敵は空母2隻を擁した本格的な機動部隊である。司令官は「ボイル・オブ・コーク・アンド・オーリー」という、冗談か本気かわからんような名前の海軍元帥。
司令長官・草鹿少将は、即座に北東に針路を変更し、逃走を図った。
緊急連絡を受けたカルカッタ航空基地からは、対艦攻撃機がスクランブル。また、アンダマン諸島への上陸作戦支援中の第1艦隊も、急遽北西に進路をとり、全速で戦闘海域に向かう。無電封止しているはずなのに、なぜ交戦海域を把握できたのかは不明。
草鹿少将の的確な命令と巧みな操艦で被害を回避しつつ迎えた午前10時、ようやく第1艦隊の空母「翔鶴」「蒼龍」「雲龍」からの艦攻隊が現場海域に到着。さらに、正午過ぎにはカルカッタ航空基地からの対艦攻撃機も加わる。
そして戦いの結果は…
敵の正規空母「アークロイヤル」をはじめ、軽空母「ハーミーズ」重巡「フロービシャー」を撃沈。日本側は被害ゼロという一方的な勝利であった。
本海戦を以後「カタック沖海戦」と呼称す。
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