無勝の魔術師・オーリー元帥
1941年。
1月3日:イラクはハバニヤ事件において“新政権を受け入れる”を選択したとのことです。
1月3日:イラクはイギリスに与えていた軍の通行許可を破棄。
1月3日:イラクがイギリス, フランス, オーストラリア, ニュージーランド, カナダ, ネパール, ブータン, イエメン, オマーン, ベルギー, オランダ と ギリシアとの軍事同盟から脱退。
1月3日:ドイツがイラクとの和平を受諾。条件は:元の状態への復帰。
ハバニヤ事件? 何でしょうな。ググっても出てきません。
いずれにしても、イラクが連合国と絶縁したということは間違いなさそう。
さらに…
1月3日:シリアがドイツ, スロヴァキア, イタリア, ハンガリー と ルーマニアと軍事同盟を締結。
1月3日:シリアで“ドイツからの支援”が発生。
シリアが枢軸国入り。今次戦いでは、日本は枢軸国じゃないので直接どうのこうのいう話じゃないが、敵の敵が増えるのはいいことだ。
年末に断念したセイロン島攻略。敵の守備兵力が1個師団に減ったのを確認したところで、リベンジを開始。まずは空爆から。
インド半島のほうは順調に攻略が進んでいる。配備されている英軍が異常に少ないため。それにしても、手応えなさ過ぎ。
1月8日、敵の機甲部隊を発見。おー、戦車じゃ戦車じゃ。
1月9日:第31歩兵軍団がバンガロールに到着。
1月11日:第13歩兵軍団がダルバンガーに到着。
1月15日、トリンコマリーでの上陸作戦成功。セイロン島制圧に向けて、コロンボ攻略は陸海同時攻撃で行うことにする。
トリンコマリーでの上陸作戦からちょうど1週間。第3・第4海兵隊軍団がコロンボに上陸。これでセイロン島を完全占領。ここもいずれ近いうちに独立させる。
1月22日:第12歩兵軍団がジャバルプールに到着。
1月24日:第1海兵隊軍団がコラープルに到着。
1941年 1月 26日 9:00 : 我が軍の艦隊がボンベイで敵艦隊と交戦。また出た、ボイル・オブ・コーク・アンド・オーリー元帥。
昨年6月2日のテムズ川河口海戦でドイツ艦隊に勝利したものの、同年12月のカタック沖海戦で日本軍に大敗して以降は負けっ放し。
テムズ川河口海戦も、イギリス軍の損害は重巡1隻、ドイツ側は軽巡1隻ということで、どう見てもイギリスの勝利とは言えないんじゃないか。
余計なお世話だが、この元帥閣下、早いとこ更迭したほうがいいと思う。
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