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2007/07/17

戦国史-大逆転 Vol 17

【1560年01月】

久々に当主・鳴海基広のお出まし。20000の軍を率いて安芸・五籠城を攻略。

何と、織田氏が北条氏の傘下に。

156001

駿河・遠江・三河をほぼ手中にした北条軍に対して、織田軍は刈谷城・沓掛城に防衛ラインを敷いて必死の抵抗を見せたが、総数12万を数える大軍が相手ではなすすべがなかった。沓掛城を失い、もはや進退窮まった織田信長が北条氏康に降伏。最盛期には82万石だった石高も、今は41万石とまさに半減。
ここに歴史は大きく転換した。

【1560年02月】

尼子秀久(尼子晴久の三男)が登場。尼子家の当主に。誠久は病にでも倒れたか。そもそも、秀久の兄・尼子義久や倫久はどうしたのだろう。

松山城・須々万沼城攻略。桂元澄・口羽通良・吉川経安を捕虜に。杉重矩(元大内家の家臣。陶晴賢とは犬猿の仲で、晴賢謀反後、彼と対立して敗れ、自害している)を登用。

【1560年03月】

開始からちょうど10年が経過。鳴海家の石高は76万石。1550年の開始時は城数2で石高4万石だったんだから、まあ、大躍進といえるだろう。

【1560年04月】

中国地方の覇者として長らく繁栄を謳歌してきた毛利氏が、ついに三好氏の軍門に下った。
最盛期(1558年10月)には、領土を安芸・備後・備中・備前・出雲・石見・周防・長門・豊前の9ヵ国にまで広げ、142万石を数えた毛利氏だったが、わずか1年半で、出雲・石見の24万石を残すのみとなってしまった。

【1560年05月】

ついに大友氏が動いた。さすがにこれ以上、九州にこもっていることに耐えられなくなったのだろう。三好氏との不戦同盟を破棄。東、すなわち鳴海領への侵攻を決意した模様。その証拠に、国境線沿いに6万・7万という大軍を配置し、さらに後方には8万の軍勢が控えている。こいつらとまともに張り合うのはあまりにも無謀なので、何とか策を講じなければ。

陸路・水路の接続を重視して、絶対防衛ラインを山陰側は石見・松山城、山陽側は周防・岩国城とする。ここに精鋭部隊を集中させて敵を迎え撃つ。とはいえ、完全に二正面作戦。彼我の兵力差を考えると、相当厳しい戦いが予想される。

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