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2007/07/11

戦国史-大逆転 Vol 11

【1555年10月】

予定どおり、厳島合戦勃発。で、史実どおり陶軍は敗れ、陶晴賢は自刃。他の武将たちも煙のように消えてしまった。厳島合戦の前に陶晴賢によって粛清されたはずの江良房栄はともかく、弘中隆兼はその智勇を評価しているので、当家で召し抱えたいくらいだったのだが。

155510

それにしても、この状態でどうやって両軍、厳島に渡って戦うことができたのか。こら、勝手に他人の領土でケンカするんじゃねぇ(ー_ー#)

台風襲来で中断した曾根城攻略を再開。

【1555年11月】

曾根城攻略に成功。

【1555年12月】

陶氏が消え、毛利氏が中国地方西部をほぼ制圧しても、残念ながら三好氏の攻勢には何の影響も与えていない。おい、但馬山名家の当主・山名祐豊、いったい何やっとるんじゃ。後背から三好に仕掛けんかい。

仕方ないので、ここで意を決して三好氏に従属。同時に毛利氏とは敵対関係に。
せっかく(?)戦争ができる状態になったので、ここは因島城をいただいて交易の規模を拡大しておこう。
ということで、鳴海隆広、3000の軍を率いて出陣。

【1556年02月】

因島城、この調子なら来月には落とせそう。

それにしても、一向に瀬戸内沿岸に毛利軍の姿が見えてこない。日本海沿岸をながめてみると…出雲で尼子攻めの真っ最中でした。合わせて30000余りの大軍で、熊野城と布部城を攻略中。
その布部城は月末の毛利軍攻撃でついに落城し、たてこもっていた尼子敬久は自刃した。
敬久は、尼子氏最強の戦闘軍団・新宮党を率いる尼子国久(当主・晴久の叔父)の三男。父親と兄二人(誠久・豊久)は石見・松山城攻略に出陣しているが、三男だけが地元に残って最期を迎えることになったのは皮肉。

【1556年03月】

最後は約20000の兵力で総攻撃。因島城攻略に成功。交易船は合わせて70隻になった。

【1556年04月】

尼子方だった宇山久兼が毛利方に寝返った。尼子氏は、但馬山名氏や備前浦上氏からも攻勢を受けており、まさに四面楚歌状態。今年いっぱい、もつかもたんかというところだろう。

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