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2007/07/20

戦国史-大逆転 Vol 20

【1561年07月】

伊予飯森城の大友軍に対しては、三好軍が盛んにちょっかいを出してくれている。ありがたやありがたや。

石見のほうだが、大友軍は本明城と松山城をあっさり突破し、山吹城の大内氏を攻撃中。自ら放棄した城とはいえ、気分の良いもんじゃない。

【1561年08月】

大友軍の妨害に悩まされながらも、富田若山城の包囲を続け、敵方の下蒲池家郎党が脱出して城内の守備兵が激減したのを機に一気に強襲。念願の富田若山城奪取に成功した。

【1561年09月】

石見・山吹城にたてこもっていた大内義隆以下1万余りの大内軍の残党。兵糧が尽きて開城。ついに名門・大内家は滅亡。
城から落ち延びた大内家の残党。当主・大内義隆と家臣の相良武任は朝倉家を頼り、嫡男の義尊は三好家の家臣に。

【1561年12月】

捕虜の土持親成が登用に応じた。智勇兼備の良将とのことなので、厚遇の予定。もともとは日向国・県城の城主。史実では、耳川の戦い(大友VS島津)の前哨戦で島津側に立って参戦したが敗れ、大友方の手で処刑されている。されば、ここはひとつ、大友に対する積年の怨みをはらすため、大いに活躍してもらおうではないの。

【1562年01月】

戸次鑑連と種子島時尭が登用に応じた。
戸次鑑連…「立花道雪」と呼んだほうが通りがいいだろう。落雷に打たれて半身不随となったにも関わらず、戦場では家臣に担がせた輿に乗って陣頭指揮を執り、『鬼道雪』とか『雷神』と称された猛将である。その勇名を耳にした甲斐の武田信玄が、道雪との面会を望んだとか。
種子島時尭…その名のとおり、種子島の領主。島に漂着したポルトガル商人から鉄砲を購入したことで、戦国時代、ひいては日本の歴史に大きな影響を及ぼす契機を作った男。

調子に乗って毛利の領土を蚕食する大友軍。その後背を突いてやりたくなった。3万5千の兵力で、松山城奪還作戦を発動。

【1562年02月】

龍造寺家成(たぶん家就のこと)が登用に応じた。

杉重矩が地元に近い周防・富田若山城で病没。享年60歳。合掌。

【1562年03月】

木下昌直(龍造寺四天王の一人)が登用に応じた。

松山城奪還に成功。約3万5千の大友軍を石見の東半分に封じ込める形となった。さて吉と出るか凶と出るか。

156204

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