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2007/07/19

戦国史-大逆転 Vol 19

【1560年12月】

みたび不退却はめ作戦実施。捕虜とした武将の数は22名になった。それだけの数の武将を失いながらも一向に攻撃の手をゆるめないというのは、大友氏、しぶといというか何というか…。

それにしてもよく考えたら、三好氏の陣営にあって、何で鳴海氏ばかり大友氏の攻撃の矢面に立たされて苦労しなければならんの? だんだんバカらしくなってきた。いったい他の連中は何しとるんや?

三好軍の主力がどこで何しているのか探してみると、伊予国の南端・常磐城を我が物とした大友氏に対して攻撃を加えるべく、6万5千の軍勢が肉薄していた。
まあ、三好主力軍も今後それなりに苦労することになるんだろうが…でも、やっぱりワリに合わん気がする。いっそのこと、大友軍には山陰路をそのまま東進してもらい、毛利と噛み合わせてみようか。んで、鳴海軍は南に兵力を集中させ、大友軍とは逆に西進して防長攻略を目指すというのは…?

よし決めた。これでいこう。

当主・鳴海基広の号令一下、5万7千の鳴海軍は本明城・松山城を惜しげもなく放棄して、一路南下して岩国城へ。

【1561年02月】

蓮華山城を3万6千の兵で攻撃。大友軍4万との野戦に辛勝し、城を包囲。大友軍を率いていた怒留湯融泉や臼杵鑑速らは須々万沼城に撤退した。

【1561年03月】

蓮華山城を強襲で一挙に奪取。

【1561年04月】

昨年の山陰での「不退却はめ作戦」で捕虜にした益田藤兼が登用に応じた。
益田藤兼…(史実では)1551年、陶晴賢の謀反に協力して大内義隆を自害に追い込んだ(大寧寺の変)。1555年の厳島の戦いで晴賢が戦死し、その後、毛利元就の侵攻によって大内氏が滅亡すると、元就は義隆を殺した大罪人として藤兼を処刑しようとしたが、吉川元春がその武勇を惜しんで助命したため、本領を安堵され、以後は毛利氏の家臣となった。

富田若山城の敵軍(約8万)に海路侵攻されることのないよう、岩国城に鳴海義広以下約5万の防衛軍を駐留させて、当主・鳴海基広以下4万の軍は須々万沼城攻略を開始。

【1561年05月】

岩国城の別動隊と連携をとって「変則的不退却はめ作戦」を敢行。

156105

鳴海義広以下、岩国城の全兵力5万2千をもって海路富田若山城を逆襲し、城を包囲。須々万沼城では兵糧攻めを継続。須々万沼城にたてこもった1万3千の敵軍は撤退可能な城がない(富田若山城は鳴海軍によって包囲中)ため、籠城を続けるほかなく、兵糧があっさり尽きて開城。龍造寺隆信ら5人の武将を捕虜にした。

【1561年06月】

大友軍が5万7千の大軍でもって、西園寺氏(三好方)の伊予飯森城を攻略。海路で直結している湯築城が危ない…けど、今はどうにも動けん。黒瀬城および法華津城の三好軍の動きに期待するしかない。

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