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2007/01/01

1942年1月第1ターン

★1942年1月第1ターン(1~3日)

新年明けましておめでとうございます。本年も武運長久を祈ります。

さて、毎月初めに内地の根拠地で兵員を動員できる。今回は、東京で工兵部隊×6部隊、大阪で整備部隊×4部隊、仙台・横須賀・呉でそれぞれ治安部隊20部隊の計60部隊を動員した。
軍が動員を要請すると、各市町村の兵事課において、住民台帳の中から兵役適合年齢の住民を無作為に抽出し、召集令状(赤紙)を届けに行くのである。
ただ、やたらと赤紙を濫発すると民度(民衆の士気)が低下し、資源採掘や工場生産に支障をきたすことになるので、まあ、ほどほどにというか…。

2週間前にサイヨクに侵攻した連合軍、いよいよバンコクに矛先を向けてきた。
このあたりが非常に狡猾なのだが、バンコク周辺の天候は「霧」。陸戦の舞台となる根拠地が霧の場合は、侵攻側にとってとても有利になる。防御側にとって、侵攻部隊の動きを把握するのが困難なためだ。

ということで…

  第1次バンコク防衛戦
     日本軍参加兵力  240部隊/両 損害   0部隊/両
     連合軍参加兵力  400部隊/両 損害   0部隊/両
   バンコク陥落

これで、タイ領内の根拠地(サイヨクとバンコク)がすべて連合軍の手に落ちてしまったため、タイの親日政権は失脚。ピブーンソンクラーム元帥(↓)は日本内地に逃れて亡命政権を樹立した。戦後も史実どおり、引き続きタイの指導者でいてもらわなくてはならんので、こんなところでむざむざ死んでもらっては困る。

Photo_5

バンコクを一時的に連合軍に明け渡すことは自体は、実は日本側のシナリオどおり。少し時期が早いような気もするが…。
親日政権の崩壊は、一見日本にとってダメージのようだが、実は後述するようにメリットもあるのだ。

第2艦隊は引き続きバリクパパンへの爆撃を続行。ほぼ無力化がなったところで、マニラから南下してきた輸送艦隊から、4個大隊の陸戦部隊が上陸。

  第1次バリクパパン攻略戦
     日本軍参加兵力   40部隊/両 損害   0部隊/両
     連合軍参加兵力    0部隊/両 損害   0部隊/両
   バリクパパン占領

定番の無血占領だが、連合軍の残存部隊が、隣接するバンジェルマシンに退却する際、精油所の一部を破壊していったので、工場生産力は若干低下。おのれ~。

一方、スラバヤ沖まで進出していた第1艦隊は、そのバンジェルマシンを艦載機で爆撃したのち、カリマータ海峡を逆進してタイランド湾を北上。バンコクまで約400キロの地点からバンコクの敵軍に爆撃を加えた。
前述のように、バンコクまで明け渡すのは予定どおりだが、プノンペンは何が何でも死守せねばいかんので、敵のバンコク駐留兵力を少しでも削いでおこう。

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