高日神社
昭和25年1月6日付 中国新聞
拳銃で射殺、口論の意趣ばらしから
4日午後5時40分ごろ、呉市和庄通り4丁目の高日神社付近で、同町人夫・大西輝吉君(22)が27、28歳くらいの男と口論、輝吉君はピストルで後頭部を撃たれてこん倒、共済病院に収容されたが、5日朝絶命した。呉署では直ちに現場検証を行い、関係者らの供述により容疑者として阿賀町海岸通りの大西政寛(27)を指名手配した。
「悪魔のキューピー、ついに暴発」の事件。ただ、新聞では触れられていませんが、ここに至るまでには重要な伏線があります。同日の昼過ぎに、呉市本通の路上で見ず知らずの大西政寛と大西輝吉は偶然に出くわしました。それだけなら問題ないのですが、人夫仲間と連れ立って歩いていた輝吉は酒の勢いもあって、大西政寛にいいがかりをつけ、おまけに彼の女房を売春婦よばわりしました。それだけでも大西政寛の怒りに火を点けるには十分ですが、あろうことかこの軽薄な若者は、名前を問われて本人の目の前で「山村組の大西じゃ」とブチ上げてしまったのです。
その場は女房が何とか宥めすかして暴発を抑えたものの、悪魔のキューピー、このままで収まるはずがありません。山村組の若衆が手分けして大西輝吉を探し出し、高日神社に呼びつけて…冒頭の事件へとつながるわけです。
この時期の大西政寛、土岡博襲撃事件(実行犯・美能幸三)によって弟分の波谷守之とは敵対し、収監された舎弟分の美能とは塀の内外で別れ、加えて土岡襲撃の黒幕・山村辰雄には裏切られた形となっており、もはや自暴自棄で知らず知らずのうちに死に場所を求めていたのではないかという話もあります。
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