2007年3月11日 (日)

佐々木哲彦 Vol 1

昭和20年代の後半から30年代の前半にかけて、呉市に居を構えた人で、この名を知らない人はごく稀でしょう。

佐々木の哲ちゃん

生きていれば広島県のヤクザ地図は完全に塗り替えられていただろうと言われる、山村組若頭の佐々木哲彦です。

極道筋だけでなく、堅気の市民の間にもその名は知れ渡っていたようで、管理人の祖父母や母、同級生の母親などから、いろいろな逸話を耳にする機会がありました。

以降、もろもろのこぼれ話を年代順に…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 3日 (土)

山村辰雄 Vol.14

最後に元山村邸の写真を。

Image005_4

石垣の上に敷地がありました。現在は某寺が立っています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年1月27日 (土)

山村辰雄 Vol.13

ところで、山村組長って“悪の権化”のように語られることが多い。正延哲士著『最後の博徒』は、山村に敵対し続けた波谷守之氏の視点から描かれているために、特にその傾向が強い。

確かに、小心で猜疑心の強いケチな陰謀家、という面はあるようだし、容姿も、写真を見るに威風堂々とはしておらず、おいらの祖父(岡組統合以前には呉の街中でよく山村を見かけていたらしい)に言わせると

「貧相な小男じゃった」

そうな。

ただ、山村組長を語るに、海生逸一 の存在を抜きにはできんだろう。

続きを読む "山村辰雄 Vol.13"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月31日 (火)

山村辰雄 Vol.12

晩年の山村辰雄氏。重度の認知症を患ったようですね。
文献にもその旨の記述は多々ありますが、これ(↓)はじかに聞いた話。
前出のおいらの高校時代の友人(山村邸の数軒隣)が言うには、自宅周辺を徘徊して、誰彼となく「おはよ~、おはよ~」と挨拶するので、「おはよ~じーさん」と呼ばれていたとか。

彼の死は1967(昭和42)年12月2日。71歳でした。

奥さんはその後もしばらく存命されていたようで、昭和から平成に変わる頃までは、呉市内の電話帳に奥さんの名前が掲載されていた記憶があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月22日 (日)

山村辰雄 Vol.11

「山村辰雄」といいながら、彼のことを書いているのか、それ以外の人のことを書いているのか、よくわからなくなってきましたが。

話はころっと変わって、1962(昭和37)年春、広島の岡組を統合して総勢220人の大組織の頭となった山村辰雄、詳しい時期はわかりませんが、旧岡組の幹部・服部武の若衆だった山田久(のちの三代目共政会会長)をボディーガードにしていたようですね。

山村組長が広島に出るときは呉の自宅まで送迎の役を務めたとか、護衛の最中に山村組長から酒を勧められたが「お気持ちだけで」と断ったことによって信頼を得た、などということが、『実話時代』(だったかな?)に書かれていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月15日 (日)

山村辰雄 Vol.10

どうもこの時点で、山村は美能を土岡組に引き渡すつもりじゃったらしい。真偽のほどは定かでないが、本当だとするとちょっとねぇ…

美能氏がのちに、

「花見をしたとかの親分子分の楽しい思い出などひとつもない。いつ寝首をかかれるかわからんから、すぐに(鉄砲玉として)とばせる若者をかかえておかねばならんかった」

と述懐しているのが、真に迫って聞こえるのだ。

続きを読む "山村辰雄 Vol.10"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月13日 (金)

山村辰雄 Vol.9

●1949(昭和24)年9月27日午後10時頃
山村、「急用を思い出した」とかで美能の隠れ家を去る。入れ替わりに大西登場。波谷が山村の自宅へ殴り込みに来たことを知らせ、山村の後を追う。

●9月27日から3、4日後
美能、隠れ家を移る。

●さらに数日後
山村が美能の隠れ家来訪。「おまえ、一時のう、体をかわしとけいや」との命令で呉を離れることに。案内人は山村組の某元組員。

続きを読む "山村辰雄 Vol.9"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月29日 (金)

山村辰雄 Vol.8

前の記事で最後に紹介した「波谷守之の山村組殴り込み」について、「実話時代」10月号の106ページに記事が掲載されとります。

んで、ページ下に写真があって、「波谷が乗り込んだ山村組長宅」とありますが、これ間違い。

山村組長宅には違いないけど、これは呉市北迫町(現在の呉市中央4丁目)にあった自宅。

Camimveh

続きを読む "山村辰雄 Vol.8"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月22日 (金)

山村辰雄 Vol.7

ここから先はしばらく、できるだけ感情を排して出来事をありのままに列挙。

●1949(昭和24)年9月27日午前11時頃
広島駅前の岡道場(岡組の賭場)近くで、美能幸三が土岡博と土岡組若衆・河面清志を狙撃。弾丸は1発ずつ命中。美能は止めを刺そうとするも、拳銃が不発。周りにいた岡組関係者にも阻まれため、逃走して知り合いの家に隠れる。
土岡博と河面は、岡組関係者が病院へ運ぶ。
美能を客分として預かっていた岡組の服部武が指を詰め、呉市阿賀の土岡組へ謝罪に。

続きを読む "山村辰雄 Vol.7"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月15日 (金)

山村辰雄 Vol.6

当時、美能氏は、凶状旅の果てに広島の岡組に草鞋を脱いどったんですよね。
で、昭和24年のある夏の夕暮れ、呉か広島かどっかの橋の上で、偶然、大西政寛や野間範男に出くわし、土岡博暗殺計画を知ることになったわけ。

翌日、美能氏は呉に帰って、今西通4丁目(現在のこのあたり↓)に移転していた山村組事務所に顔を出す。

Caw39baa_3

続きを読む "山村辰雄 Vol.6"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧