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当サイト管理人の地元である呉・広島では、過去長期にわたってヤクザ同士の流血沙汰が繰り返されてきました。俗にいう「広島抗争」です。
第一次から第三次におよぶ「広島抗争」は、終戦の翌年・昭和21年から昭和46年の四半世紀にわたって繰り広げられ、死者37名・負傷者66名という犠牲を数えてようやく終息に至りました。戦後のヤクザ抗争において、これほどの犠牲をともない、長期化した例は他に類を見ないと言われています。
なぜ、このような抗争が起こったのでしょうか。
「広島抗争」については数多くの文献によって糾明がなされていますが、その中では何といっても「仁義なき戦い」が秀逸でしょう。これは、抗争の主役の一人である呉市の美能組元組長・美能幸三氏が綴った獄中手記を、飯干晃一氏が再構成・脚色して世に送り出した作品で、東映で映画化されて大ヒットし、今なお多くの人々の関心を惹きつけてやみません。
ただ、映画では派手なドンパチに目を奪われがちですが、「仁義なき戦い」をはじめとする文献を丹念に辿っていくと見えてくるのは、極道・堅気の区別を超えた「人間」の物語なのです。
呉・広島を舞台に、これほど赤裸々な人間模様を綴ったドキュメンタリーは、この「仁義なき戦い」とやはり美能氏の手による「極道ひとり旅」、そして呉市阿賀出身の博徒・波谷守之氏の手記をもとに正延哲士氏が記した「最後の博徒」の他には見当たりません。
ここでは、それら文献や映画に登場する事件の数々を、当時の新聞記事や最近の写真とともに紹介しながら、呉の戦後史の裏側を独自の視点でたどってみたいと思います。
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