土曜日の惨劇
1963(昭和38)年9月22日付 中国新聞
またピストル撃ち合う-広島の繁華街
組員ふたり死傷
抗争、再び表面化
土曜日の宵。広島市内の繁華街でまたピストル事件が起き、ふたりが死傷した。広島県警本部と広島市内三署は4月から呉、広島でくすぶり続ける暴力抗争事件の再燃と見て厳重な警戒網を敷いている。
二十一日午後八時前、広島市下流川町東新天地広場近くで、打越山村両組の数人ずつがけンカ(原文まま)し、山村組、同市皆実町二丁目、宮木敏明組員(二〇)が右肩、右ワキ腹をピストルで撃たれ、同市幟町の病院に収容されたが重体。さらにその直後、二、三人が逃げる数人を追い、約七、八十メートル西側の同市流川町広島ビヤガーデン近くで一人がピストルで撃たれ、同市基町の病院に運ばれたがまもなく死んだ。広島県警本部と広島東署の調べで死んだのは同市吉島新町一丁目、打越組の谷村祐八組員(二一)とわかり腹巻きの中にあった実弾五発入りの回転式ピストル一丁とマッチ箱に入っていた弾十発、第一現場付近で薬きょう一個を押収した。
県警本部と広島東署は4月からの打越、山村両組の勢力争いによる抗争事件の一連とみて広島西、宇品各署の応援を求め、関係者から事情を聞き厳重に捜査し、二十二日午前零時半すぎから関係者宅三カ所をピストル不法所持の疑いで捜索した。
これで抗争事件による死者は六人、押収したピストルは二十九丁。
現場は広島市内の繁華街で土曜日の宵と重なって一時混乱した。
山村組関係者方への爆発物投げ込み事件からいったん平静になっていた抗争事件は再燃し、ピストル殺人事件でついに再び表面化した。県警本部は事態を重視して城内捜査二課長が現場近くの広島東署流川派出所で捜査を指揮し、数百人の警官が緊急配備についた。
宵の繁華街、市民の目の前で起きた事件だけに市民は異常な憤りを示している。ちょうど現場を通行中の会社員(二五)は「パン、パーンとピストル音が二度聞こえたとたん数人が走った。そのあとを二、三人が追い、一人に追いつきざま首筋にピストルでなぐるような格好で発射した」といい、東新天地広場に店を出している主人(五一)は「十人くらいの組関係らしい男がビールビンを持ってケンカし、すぐあとピストルの音がした。繁華街で撃ち合いがあるようでは安心して商売もできない。おそろしいことだ」と語り、近くのバーのマダム(四三)は「相つぐピストル事件以来、客が半減した。このままでは商売も上がったり。徹底的に捜査して一日も早く明るい街にしてほしい」と話していた。
死傷した組員二人(重体の宮木も3日後に死亡)の顔写真、以前に比べてヤクザらしい風貌になってきました。
二十歳の宮木敏明組員ですが、当記事以外の資料ではすべて“宮本”敏明となっています。
この事件の容疑で逮捕されたのは、打越会の柳秀雄ら5名、山村組の鄭照謨ら2名ですが、繁華街での傍若無人な乱射事件を重く見た広島県警によって、翌日、大物(?)が逮捕されました。山村組の山村辰雄組長と打越会の打越信夫会長です。
県警の“頂上作戦”によって、抗争当事者のトップ2名が戦場から隔離されたわけですが、その翌々日には、山村組員による神戸・山口組本家爆破事件、打越会員による山村組若頭・服部武宅銃撃事件と山村組長宅爆破未遂事件が起こりました。
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