1970(昭和45)年7月1日付 中国新聞

樋上組長射殺される
夜の呉市内 暴力団抗争が再燃
流れダマで市民負傷
対立の美能組員が自首
【呉】三十日夜、呉市内の繁華街の路上で暴力団組長がピストルで射殺され、通行人一人が流れダマに当たってけがをした。広島県警と呉署は暴力団の抗争事件とみて捜査している。
同日午後九時二十分ごろ「呉市中通四丁目の交差点で男がピストルで撃たれて血まみれになって倒れている」と通行人が呉署へ一一〇番通報してきた。同署で調べたところ、同時刻ごろ中通四丁目、銀座デパート近くの市道交差点で暴力団共政会副会長・樋上組、樋上実組長(四六)=呉市東中央一丁目=が同組の福森明組員(三〇)=同市荒神町=ら二人と一緒に歩いていたところ、若い男に至近距離で背後からピストルで胸、腹など全身に七発の実弾を受け即死した。同署は現場付近一帯で、薬きょう七個を押収した。
同署は全署員を非常呼集して捜査中、同九時半すぎ、呉署に「オレがやった」と暴力団美能組組員木元敏治(二三)=同市本通四丁目=が樋上を射殺したのに使ったとみられるコルト四五口径のピストル一丁を持って自首してきた。同署は重要参考人として調べていたが、ピストルから硝煙反応があったため同十時、木元を殺人の疑いで緊急逮捕した。この事件で付近を歩いていた呉市上畑町、中央ゴルフ場会計主任岡崎哲男さん(七〇)が流れダマを下腹部に受け、近くの中川病院に収容されたが、二週間のけが。
現場は同市本通り四丁目の国道一八五号線から西にはいった映画館やデパートが立ち並ぶ市内でもっともにぎやかな場所。樋上組長は交差点のほぼ中央に上向きに倒れており、付近一帯は血の海だった。樋上組長射殺事件に対し広島県警と呉署は第二、第三の事件発生に備え武装した私服警官や機動隊員約百九十人を市内要所に配備し、厳戒体制をとっている。
広島県警捜査二課と呉署は、自首した木元のほかにも共犯者がいる可能性があるうえ、樋上組長の射殺事件をきっかけに、暴力団抗争が再燃する恐れもあるとして、国道三一号線や国道二号線を中心に検問を強化し、応援組員が呉市内にはいるのをチェックするとともに警官約八百人を動員、広島、福山、尾道、三原などの関係暴力団員の動向を警戒している。
報復の繰り返し
広島県警操作二課では、樋上組長射殺事件は、暴力団共政会山村組系の主流派と、村上組経反主流派の“血を血で洗う”抗争、対立の結果と見ている。
両派の抗争事件は、昨年十月中旬、共政会の山田久理事長(四〇)が村上組員にピストルで襲撃されたのが発端、同十一月中旬には、その報復として、村上正明組長(五三)の舎弟で、同組のブレーンだった呉市内の暴力団宮岡組の宮岡輝雄組長(四四)が、共政会山村組員らにピストルを乱射され射殺され、両派の反目は決定的となっていた。また、今度、射殺された樋上組長は、共政会主流派で、副会長のポストにあった。昨秋、射殺された宮岡組長と同じ呉市内をナワ張りとし、互いに勢力を張り合っていた、などの点から、同県警捜査二課では“万一、報復射殺事件が発生した場合は、樋上組長が狙われる公算が強い”とみて、対立する両派の動きをマークしていた。
また、共政会と対立関係にあった呉市の暴力団美能組の美能幸三組長(四五)が今秋、刑務所を出所するという事情もからみ、呉市を舞台とする暴力団抗争が再燃するおそれもあるとして、同県警と呉署は、五月初め、呉地区暴力団取り締まり本部を設置、これまで四次にわたる一斉手入れで五十四名を逮捕するなど、先制取り締まりを続けていた。それだけに、捜査陣のショックも大きかったようだ。
樋上組長は、四十三年五月、長崎刑務所を出所後、共政会の服部武会長(四五)ら同会幹部が服役中の同会にあって、山田理事長と協力して組織の立て直しにあたった実力者だった。また、樋上組長の射殺事件で暴力団抗争が一層エスカレートするおそれがあるため、同県警では、共政会主流派の服部派、十一会の動向、美能組の藪内勲幹部(三四)の動きについて、厳戒体制を強めている。
事件の表面だけを眺めると、わりとシンプルな対立抗争事件ですが、この後の動きが少々不可解です。
記事中にもあるように、この事件の3ヶ月後に美能組・美能幸三組長が札幌刑務所を出所します。時期が時期だけに出所は厳戒体制の中で行われ、刑務所から千歳空港までは北海道警の警察官が、羽田到着後は警視庁が身辺警護にあたるといった物々しさで、地元・呉からの放免迎えの面々が待つ品川プリンスホテルまで、何度もタクシーを乗り換えて向かうというありさまだったそうです。
それはともかく、美能組長は樋上組長射殺の責任を取る形で極道からの引退を決意し、その後、関係者が一同に会して美能組長引退後の呉・広島について話し合う場がもたれますが、メンバーは服部武・原田昭三・山田久(以上共政会系旧山村組)・竹野博士(共政会系十一会)・美能幸三・藪内威佐男(以上美能組)・小原光男・坂本忍(以上小原組)。そう、樋上組関係者の出席がありません。今後にしこりを残すことなく、四方円満に収めようとするなら、ここに樋上組若頭(組長代行?)・長江勝亮の名があってしかるべきなのですが。
さらに言うなら、副会長という重鎮が殺られたにもかかわらず、共政会としては美能組に一矢も報いていません。もっとも、樋上組長の死は、美能組長が堅気になる(=極道としての生命を絶つ)ことでバランスがとれるという考え方もありますが、長江若頭以下樋上組の若衆としては到底おさまりがつかないでしょう。
事実、正延哲史著『最後の博徒』には、報復を実行しようとする長江若頭を波谷守之組長が押しとどめているとみられる記述があります。波谷組長としては、何とか広島抗争を終結に導きたいという思いからの行動ですが、共政会が組織として動かなかったことについては、服部武や山田久ら共政会幹部の面々に、波谷組長とは違った思惑があったのかもしれません。
いずれにせよ、樋上組残党に対する冷遇とも言うべき措置が、大阪事件(山田久襲撃事件)の際の長江若頭上阪拒否から絶縁処分へとつながっていくことになるわけです。
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「仁義なき戦い 完結篇」です。映画では田中邦衛扮する槙原政吉(樋上実がモデル)は、白昼の呉市中通商店街で露天をひやかしている最中、広能組組員によって射殺されます。
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