四代目共政会 継承式
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1964(昭和39)年10月4日付 中国新聞
共政会の組長を射殺 呉
ふろ帰り狙う
対立抗争か 夕方の住宅街で
【呉】三日夕方、買い物客など人通りの多い呉市内の住宅街の小路で、暴力団幹部がピストルで射殺された。広島県警と呉署は暴力団の対立抗争による事件とみて捜査している。
同日午後四時四十八分ごろ「呉市本通十五丁目で男の人がピストルで撃たれて倒れている」と通行人が呉署へ知らせた。
同署で調べたところ、同市本通十五丁目、上田ドレメ学院正門付近路上で、同市西鹿田町、共政会理事、住吉組住吉辰三組長(三九)が、付近の公衆浴場「衛生湯」から帰宅中、背後からピストルで左背部と左後頭部の二カ所を撃たれ即死していた。犯人は背後から一発うち、倒れたところへさらに一発うち込んだ形跡があり、後頭部へ貫通したタマが致命傷だった。
同署は上田ドレメ学院東隣の民家のミゾからタマ一発を押収したが、石がきにあたってつぶれており口径はわからない。
目撃者の話では犯人は年齢二十四、五歳、身長一メートル五、六十センチ、おも長、中肉で頭髪は五分刈り。灰色地に濃い灰色のタテジマもようの背広上下を着ており、犯行後電車通りに走って引き返し待っていた二人とタクシーで逃げたという。
同署は特捜本部を設け、捜査を始めた。調べでは、前日の二日午後五時半ごろ、ヤクザふうの若い男三人が乗用車で住吉組長宅付近を訪れ「住吉の家はどこか」と近所の人にたずねており、三人との関連を調べているが、同署では対立する暴力団員の計画的な犯行とみて、非常警戒し、犯人を捜している。現場は同市本通十五丁目の市電停留所東側の休山に抜ける坂道(道幅約二・五メートル)の登り口から約三十メートル。住吉組長は同電停前からこの坂道を通って自宅に帰る途中、背後からねらいうちされたらしく、道路左側の石がきのそばに置いてあったバイクにくっつくようにして倒れていた。死体のそばには血糊が飛び散り地に染まったゾウリ、ぬれたタオル、カミソリが散乱していた。
被害者の住吉辰三組長ですが、「仁義なき戦い」の原作本(?)にはほとんど登場しません。ただ、“賭魁”波谷守之組長と懇意だったらしく、正延哲士著「最後の博徒」にはちょっとした記述があります。
一つは、初代共政会の理事長だった服部武との盃について、住吉が波谷に相談したというエピソード。もう一つは、住吉の若中と共政会・樋上実常任理事の若中との喧嘩に関して、やはり波谷が住吉を諭したという話です。
波谷組長によると、住吉辰三については「呉中の者がお人好しだと思っていた」ということで、警戒心の薄かったところをつけ込まれたのかもしれません。
新聞記事には犯人についての記述はもちろんありませんが、実行犯は当時小原組宮岡派に属していた荒岡満州雄(現・五代目共政会本部長)ほか二名。
荒岡本部長、のちに美能組入りしているはずです。おそらく宮岡輝雄組長が殺されてからのちだと思われますが。でも、三代目美能組の高松秀宗組長とはしっくりいっていなかったというような話を聞いたことがあります。どこからの情報かは忘れてしまいました。
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