山村組長邸爆破未遂事件
1963(昭和38)年9月25日付 中国新聞
激化一途の暴力団抗争
呉、広島で山村組と打越組との抗争事件が続いているおり、二十四日、呉市で山村組長宅にダイナマイトが投げ込まれ、広島市内で山村組の幹部宅付近でピストルが撃たれた。
山村組長宅へマイト
導火線が消え不発
【呉】二十四日朝、呉市北迫町、暴力団山村組山村辰雄組長(五九)の本宅にダイナマイトが投げ込まれたが不発に終わったと呉署に届け出があった。
届け出によると、同日朝七時半ごろ、同家の女中三谷愛子さん(一七)がそうじのため表に出たところ表門から五メートルほどはいった石段のところにダイナマイトが投げ込まれていたもの。同署が調べたところ、長さ十八センチ、直径九センチのブリキの円筒の中にダイナマイト四本がつめられていた。幸い導火線二十センチを燃やして円筒の入り口で火は消えて不発に終わっていた。
同日午前一時半から同七時半までの間に投げ込まれたものらしく、広島、呉で抗争している暴力団員による犯行とみて、同署は爆発物取り締まり罰則違反の疑いで捜査している。
山村組長は広島市に本拠を移して以来、この本宅には月一、二度帰ってくるだけで、妻国香さん(四七)と女中のふたり暮らし、組員の出入りはあまりなかった。
前回の記事「亀井貢射殺事件」から始まった第二次広島抗争は、この1963(昭和38)年9月にピークを迎えました。
9月8日:可部温泉・松福荘で打越会系西友会会長・岡友秋射殺
9月12日:山村組本拠・キャバレー「パレス」爆破
9月19日:山村組幹部・原田昭三宅爆破
9月21日:広島市中心部で山村組・打越会双方の組員が銃撃戦
9月22日:山村辰雄組長と打越信夫会長逮捕
9月24日:山村辰雄組長宅爆破未遂
以後、抗争は下火になります。
ところで興味深いのが、「亀井貢射殺事件」の記事から“暴力団”の呼称が登場すること。前々回の「佐々木哲彦射殺事件」(1959年)までは“ヤクザ”という表現しか使われていません。
これは1964(昭和39)年の東京オリンピックを控えて「暴力犯罪防止対策要綱」が閣議決定され、警察庁による「第一次頂上作戦」が始まったことと関係していると思われます。
話は変わって、山村辰雄組長の晩年について少々。
高校時代の友人が山村宅の近所に住んでいたのですが、山村組長は重度の痴呆症を患って徘徊などしていたようで、道行く人に誰彼の区別なく「おはよ~おはよ~」と声をかけていたそうです。
そのため、近所の子どもたちの間では「おはよ~爺さん」と名付けられていたとか。古きよき昭和時代の話です。
| 固定リンク
「新聞で知る事件経緯」カテゴリの記事
- 土曜日の惨劇(2012.10.13)
- 樋上実射殺事件(2012.03.01)
- 呉中通サン劇前拳銃乱射事件(2012.01.28)
- 住吉辰三射殺事件(2011.12.03)
- 山村組長邸爆破未遂事件(2011.11.05)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント