亀井貢射殺事件
昭和38年4月18日付 中国新聞
呉市でまた暴力団が争う
幹部(美能組)射殺される
深夜、ピストルで
十七日深夜呉市の繁華街で暴力団幹部がピストルで射殺されるという事件が起きた。
午後十一時二十分ごろ、呉市堺川通八丁目、映画館二劇裏の路上で同八丁目、スタンドバー「クインビー」の経営者亀井貢さん(三六)=暴力団美能組幹部=がピストルで右胸を撃たれ血まみれになって倒れているのを通行人が見つけ、呉署に急報した。亀井さんはただちに呉共済病院に運ばれたが、出血多量でまもなく死んだ。
タマは右胸から右背中へ貫通し上着でとまっており、解剖結果を見なければわからないが、肺を貫通し出血多量が致命傷になったものらしい。
付近の人の話を総合すると同時刻ごろ、言い争う声がしたかと思うとピストルの発射音が二、三発聞こえ、現場から三人連れの若い男が中通方面に逃げる姿を見たといい、呉署では全署員を招集し非常警戒し、この三人組を追及している。
広島の第二次抗争の引き金となった「亀井貢射殺事件」です。
現場から逃走した“三人連れの若い男”は、山村組樋上派幹部の元中敏之(後の尾道侠道会会長代行)・上条千秋・中畑良樹。彼らは5月10日に逮捕されます。
興味深いのは、事件の背景を解説した「内部抗争が爆発」以下の部分。
「美能組長が山村組の幹部頭の地位にありながら山村組長や山村組幹部の意向を無視して三月末、関西きっての勢力である神戸山口会(田岡会長)と勝手に兄弟サカズキをかわしたことから八日、破門処分を受けた」
そりゃ美能さん、怒りますわな。それに「山口会」って何よ? 一時にせよ、山口組が山口会と改称していたのかと思って調べてみましたけど、そんな事実はありません。
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