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2011年8月21日 (日)

佐々木哲彦射殺事件

昭和34年10月8日付 中国新聞

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呉市の繁華街でピストル事件
元山村組幹部殺さる
数人で数発撃込み逃走

七日午後四時四十分ごろ、呉市中通六丁目の繁華街で同堺川通一丁目、土建業太陽興産社長佐々木哲彦さん(三七)がピストルで射殺される事件が起きた。

佐々木さんは広一ビリヤード=経営者住村勇さん=から中通六丁目大呉百貨店横の道路上に出て来たとたん、待ち伏せしていたとみられる三、四人連れの男がピストル弾数発を撃ち込み逃走した。佐々木さんは呉共済病院に収容されたが、頭部と左胸部の弾傷が致命傷となり、同午後五時二十分死亡した。
犯人のうち一人は二十五、六歳、一メートル六十センチぐらい、グレーの背広を着ており、現場から中通に向けピストルを撃ちながら逃げた。大呉百貨店のウインドーと現場近くにおいてあった佐々木さんの自家用車のトランク(荷物入れ)にそれぞれ一発ずつそれ弾が当たっている。ピストルは残された薬キョウから米軍用大型口径45とみられ、現場から薬きょう七個を押収した。繁華街での日中のできごとのため現場はごった返した。
呉署では呉港各桟橋、呉越など交通網の各地店に非常線を張るとともに、県警本部の指揮で広、西条、海田、音戸各署員約六百人の警官が応援、呉市を中心に検問所を設けるなど警戒に当たっている。
なお殺された佐々木哲彦さんは元山村組の最高幹部だったが昭和三十二年、独立して呉市堺川通一丁目に土建業太陽興産を設立して社長になったほか、ダンスホール「田園」やパチンコ店を経営、呉地区の屋外興行を請負っており従業員五-六十人を使っていた。事件はやくざ関係者の仕業とみられている。

大呉百貨店女店員の話
最初に四、五発ピストルの音が聞え、少したってまた三発聞えました。驚いて出てみると血まみれの男が倒れており、堺川通に向って一人、中通に向って一人、何か上着の下に隠すようにして逃げているのが見えました。

広一ビリヤード従業員の話
佐々木さんは自家用自動車で来て、三、四人でタマを突かれましたが、連れの人とひと足遅れて店を出たとたんにピストルの音がしました。

門さん事件に関連?
呉署などが厳重な警戒網

▽…日中、呉市第一の繁華街でピストルを乱射され死亡した佐々木哲彦さん襲撃事件は呉市で本年二度目のピストル事件で、幸い通行人にケガはなかったが、呉、広両署をはじめ応援の県警機動隊員が警戒に当り市内はものものしい空気に包まれている。事件の原因については呉署の捜査にもかかわらず七日夜十時までには手がかりをつかんでいないが、今年七月中旬、呉市広町で起きた小原組幹部の門博さん(二九)のピストル襲撃事件と、昨年十二月下旬、広島市平塚町で射殺された呉市本通十三丁目、野間範男さん(三七)の事件に関係があるのではないかとみて、背後関係を追及している。また広署でも小原組関係者の任意出頭を求め事情を聞いている。

▽…この事件は小原組の幹部、岡崎義之(二九)=逮捕ずみ=が小原組親分の襲名披露の前日、子分の脇武(二九)、大本信男(三六)、宮野首敦巳(二九)=いずれも逮捕=の三人に門さんの射殺を命じ襲撃させたもので、この動機の一つとして、門さんが岡崎の襲名にさいして岡崎と五分のサカズキを後見人の佐々木さんに申し入れ、反対に岡崎が門さんを殺害しようとした。また六月初め門さんの興行でプロ・レスリング大会が同市二河プールで行なわれ、この地域に勢力をもっている佐々木さんを相当刺激したようだ。このような事情からさきの門さんと事件とこんどの事件に関連があるのではないかとみて、呉、広両署で捜査を続けている。

佐々木さんの死体解剖

【呉】佐々木さんの解剖は同夜、香川警察医の手で行なわれたが、頭部、腹部、腰などに六発の貫通銃創があり、左肩から心臓を貫き右腹部貫通が致命傷となっていた。

「あの男が生きとったら、呉・広島のヤクザ地図は大きく塗り替えられとったじゃろう」

広島極道が異口同音に語る佐々木哲彦の死です。その筋ばかりでなく、堅気の人からもこの事件については話を聞かされました。

現在の事件現場です。

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「ビリヤード広一」の看板が見えます。

未確認情報ですが(というか、もう確認する手立てはありませんが)、管理人の祖父は呉海軍工廠の職工時代に佐々木哲彦と同じ班で仕事をしたことがあるとか。また、遠い親戚には、太陽興産の従業員だった人(つまり佐々木組組員)もいました。

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