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2011年7月22日 (金)

山村組の内戦と旧土岡組の復讐

昭和29年10月5日付 中国新聞

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呉 血みどろの「やくざ爭い」

四たびピストル事件

地でゆく“邪魔者は殺せ”

さる七月三十日未明のナイト・ショウ殺人事件に端を発した呉市のピストル殺人事件は、ピストルの乱射ごとに尊い生命を奪い、六十八日間についに四回目の事件発生をみた。

恐怖におののく市民も警察当局も事件が全部関連性をもち、かつ続発が充分予期されるので、あらゆる方法で防止につとめていたが、ついに防ぎ切れなかった。

仕返しのためには手段を選ばず“邪魔者は殺せ”の映画ストーリィそのままである。事件の底を流れているのは二年前に親分を射殺された子分の仕返し、ヒロポン密売を独占しようとする新興勢力、戦後りょう原の火のように広がり、隆盛を極めているパチンコのかすりで生活しているやくざと、互いに勢力を伸ばそうとする悪の力とが入りまじり遠因、近因をつくりあげているわけだが、ここに五度目の血なまぐさい事件の起こらないことを祈りながらこれまでの事件を振り返ってみよう。

(1)ナイトショウ殺人事件
七月三十日夜山平辰巳さんはリッツ劇場でナイトショウを見て家に帰る途中、市内三条通踏切付近で高橋繁男と出会いいままでの仲違いに話をつけようとしたが、物別れとなったため、高橋はかっとなりこの日まで虐待された仕返しを決意、先き回りして山平さんが海岸通七丁目の自宅まで二十メートルという水ソウわきの暗ヤミにかくれて待ち伏せし、ピストルを乱射、鉄道線路伝いに逃走、射殺後自宅に潜伏をつづけていたが、十日目に逮捕された。

(2)ピストル乱射誘かい事件
ヒロポン密売で、にわかに勢を得た今田泰麿、荒木忠良、原田勲らは廿六年六月親分を射殺された仕返しを狙っていた河面清志、波谷守之らと結託、当面の邪魔者である佐々木哲彦さんをつけねらい、八月十七日未明、市内栄町呉劇前で佐々木さんをピストルで襲撃、逃げるのを追って乱射したが、その弾は幸い人には命中しなかったがつまづいて転んだ吉兼悟さんをラ致、自動車で逃走した。警察では直ちに弾こん、使用ピストルの調査を進め、あけ方になって表戸を開けた栄町マーケット青物商瓜生梅次さん方野菜置場で弾こん一ヵ所と、発射弾一発を発見した。

(3)無人島射殺事件
ラ致された吉兼悟さんの行方と今田らの逃走場所は、警察当局の必死の捜査にかかわらず判明せず、広島潜伏説、熊野町逃走説などが現われたが、八月二十六日岡山県で今田ら一味五名が逮捕せられてから波谷吾市さんの証言でにわかに好転、今田らは吉兼さんを安芸郡下蒲刈島村の無人島下黒島の松林の中で射殺したことを自供した。

(4)散髪屋殺人事件
九月九日午前八時ごろ、小原馨さんは阿賀町東延崎の小倉理容店でひげそり中、突如侵入した松本年春に射たれ即死、松本は自宅に潜伏、広署では直ちに非常線を張り、同日夜遅くまで検問をつづけたが、ついに発見できなかった。しかし明けて十日午前二時半、松本は広署員の急襲でついに逮捕となった。

(5)昭和橋殺人事件
五日午前零時十五分ごろ、波谷吾市さんは碁会所からの帰途、阿賀町東町昭和橋上にさしかかった際、背後から三発のピストル弾を浴びて即死した。いまや警察当局は懸命の捜査をつづけている。

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呉という狭い地域の中で、2ヶ月あまりの間に4人が犠牲になるという、かの“山一抗争”も真っ青の凄まじい殺し合いです。

山村組佐々木派 vs 山村組今田派+旧土岡組波谷守之一派という構図ですが、今田派には山村組の古参幹部である新居勝巳や大段茂がついており、実質的には一連の事件は山村組の内紛です。この内紛に乗じて佐々木派は今田派を一掃して山村組の実権を握り、親分を凌駕する実力をもつに至るわけですが、その結果待っていたのは、5年後の自らの死。なんともやりきれません。

「無人島射殺事件」の後日談をひとつ。

事件の主役・今田泰麿は服役中に、自らが射殺した吉兼悟に遺児がいることを知り、その子どものために獄中から長年にわたって仕送りを続けたそうです。

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2011年7月 4日 (月)

小原馨射殺事件

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憂慮される続発

土岡組との勢力争いが因?

小原さんの射殺

【呉】夕刊既報=一応静まったかとみられた呉のピストル事件は、九日朝呉市阿賀町、無職小原馨さん(二五)の射殺事件発生で、血が血を呼ぶヤクザ抗争の続発が再び憂慮され、市民の怒りをかっている。
広署では事件発生とともに署員を非常招集して犯人の捜査に乗りだし、同日午後には呉市阿賀町、無職松本年春(二四)を容疑者とみて行方を追及、県本部からは河原刑事部長、富浦鑑識課長ほか捜査官が現場にかけつけ、阿賀警部補派出所に特別捜査本部を設けて捜査に当たっており逮捕は時間の問題とみられている。

松本は去る八月十三日吉兼悟さん(二一)をラ致し、無人島で殺害した今田泰麿らが阿賀町から漁船で四国へ逃亡を企てたおり、船頭の役を勤め、その後姿をくらましていたもの。
捜査本部では松本の犯行とすれば(1)土岡組で居残っているものと小原さんとの勢力争いの結果によるものではないか(2)最近土岡組がヒロポンの今田らと結託して勢力を伸ばそうとして小原一派から何かにつけて圧迫を受けていたことなどから松本がだれかにそそのかされてやったものか、などが動機とみている。

松本は昭和二十三年強盗罪で広署に逮捕されたことがあるが、いわゆるヤクザとしてはどの派に属するか鮮明でなく、一応単独で犯行を企てるとは考えられないとされ、その背後関係の有無により事件が急を告げるのではないかとみられている。また小原さんの子分がこのまま黙っているとは考えられないところから、事件は意外な方向に発展する可能性が強いため、捜査本部では今後の動向を厳重警戒している。

衝撃的な事件のはずなのに扱いが小さいな、と思って読んでみると「夕刊既報」。この事件、朝の8時過ぎに発生したので、その日の夕刊に記事が掲載されたのでしょう。そこで、夕刊も探しましたが…見つかりませんでした。

事件経過を詳細に伝えたと思われる夕刊に比べて、この記事では、事件の背景と今後の捜査の見通しについて報じられています。

それにしても、これは言うなれば町内会のメンバー(幼なじみ)同士で殺し合いをする感覚ですから、激しいというか何というか…

“最後の博徒”波谷守之が後年、小原一家総長・門広「身内で事件を起こすエネルギーがあるなら、団結して外へ向ければ良かった」と語ったそうですが、やはり旅(呉・広島以外の土地)で苦労を積み重ねたあとでないと、そのような心境にはなれなかったのでしょうか。「井の中の蛙」と言われようが、殺伐たる世相の中で、その日その日を生きていくのが精一杯だったのかもしれません。

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2011年7月 2日 (土)

松方弘樹「仁義なき戦い」の裏話語る

松方弘樹「仁義なき戦い」の裏話語る

裏切りと報復の連鎖。画面からほとばしる殺意。このフィルムには全登場人物の血潮が焼き付いている。誕生から38年、いま再び注目を集めつつある『仁義なき戦い』。役を変え、3度出演したシリーズの生き証人・松方弘樹が、当時の思い出を語った。

…ということで、詳しくは週刊ポスト2011年7月8日号で。

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