沖田秀数射殺事件
話をつけに来て?射殺さる
呉で秋祭の夜の出来ごと
二十五日午前一時四十分ごろ呉市阿賀町郷小原馨氏方止宿人無職門広(二一)は同町ダンス教習所ドリームクラブ(前記小原氏経営)前路上で同阿賀西町二四九沖田秀数君(二一)を短銃で射殺、ただちに広署阿賀町派出所に前記小原氏に付添われて自首した
沖田君は右胸部を射抜かれて倒れているところ、折からジープで通りかかったニュージーランド兵クーパー伍長が進駐軍病院ならびに広空軍病院に運んだが間もなく絶命した
広署の取調べによれば門は二十四日午後九時ごろ同町神田神社祭●で沖田君とさ細なことから争いその場にい合わせた前期小原氏の仲裁で事なく済み、二十五日午前一時ごろ沖田君が小原氏宅を訪ね、「門を出せ」といったことに激興(原文のまま)射殺したもの、現場には沖田君が持っていたらしい新聞紙にくるんだ刺身包丁と帽子が残っていた
凶行に使った短銃はSWレボルバー(六連発)で自治警察が所持しているものによくにており同署では念のため国警本部に照会を発しその入手経路を調査中
大まかな経緯は新聞報道どおりのようですが、門広の回想によると…
わしが拳銃持って裏口からそっと出てみたら、沖田が日本刀を持ってるじゃない。ひょっとその横を見たら、女の子がひとりおる。恐らく沖田の彼女が心配して、一緒についてきたんじゃろうけど、命懸けの喧嘩に女を連れてくるヤクザも珍しいわね。
沖田はわしに気がつくと、日本刀抜きよって、今にも斬りかかってきそうじゃったから、わし拳銃を撃ったんよ。今じゃから言えるけど、その拳銃は山村組におった佐々木哲彦が持ってきたもので、進駐軍のMPが使うとった45口径。またよう当たるんじゃ、これが。夜の闇の中じゃけん、パーッときれいな火も出よったわ。
射殺された沖田秀数は“最後の博徒”波谷守之の舎弟(若中?)だったので、こののち30年近くにわたって二人の間には怨念がわだかまることになりました。
しかし、門が獄中にある間、波谷は門の身内に「仏みたいなこと」をしてその生活を支援していたようで、お互いが娑婆に戻ってからは「恩讐を越えた仲」になれたと、四代目共政会最高顧問 小原一家 門広総長は語っています。
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
最近のコメント