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2006年10月31日 (火)

山村辰雄 Vol.12

晩年の山村辰雄氏。重度の認知症を患ったようですね。
文献にもその旨の記述は多々ありますが、これ(↓)はじかに聞いた話。
前出のおいらの高校時代の友人(山村邸の数軒隣)が言うには、自宅周辺を徘徊して、誰彼となく「おはよ~、おはよ~」と挨拶するので、「おはよ~じーさん」と呼ばれていたとか。

彼の死は1967(昭和42)年12月2日。71歳でした。

奥さんはその後もしばらく存命されていたようで、昭和から平成に変わる頃までは、呉市内の電話帳に奥さんの名前が掲載されていた記憶があります。

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2006年10月22日 (日)

山村辰雄 Vol.11

「山村辰雄」といいながら、彼のことを書いているのか、それ以外の人のことを書いているのか、よくわからなくなってきましたが。

話はころっと変わって、1962(昭和37)年春、広島の岡組を統合して総勢220人の大組織の頭となった山村辰雄、詳しい時期はわかりませんが、旧岡組の幹部・服部武の若衆だった山田久(のちの三代目共政会会長)をボディーガードにしていたようですね。

山村組長が広島に出るときは呉の自宅まで送迎の役を務めたとか、護衛の最中に山村組長から酒を勧められたが「お気持ちだけで」と断ったことによって信頼を得た、などということが、『実話時代』(だったかな?)に書かれていました。

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2006年10月15日 (日)

山村辰雄 Vol.10

どうもこの時点で、山村は美能を土岡組に引き渡すつもりじゃったらしい。真偽のほどは定かでないが、本当だとするとちょっとねぇ…

美能氏がのちに、

「花見をしたとかの親分子分の楽しい思い出などひとつもない。いつ寝首をかかれるかわからんから、すぐに(鉄砲玉として)とばせる若者をかかえておかねばならんかった」

と述懐しているのが、真に迫って聞こえるのだ。

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2006年10月13日 (金)

山村辰雄 Vol.9

●1949(昭和24)年9月27日午後10時頃
山村、「急用を思い出した」とかで美能の隠れ家を去る。入れ替わりに大西登場。波谷が山村の自宅へ殴り込みに来たことを知らせ、山村の後を追う。

●9月27日から3、4日後
美能、隠れ家を移る。

●さらに数日後
山村が美能の隠れ家来訪。「おまえ、一時のう、体をかわしとけいや」との命令で呉を離れることに。案内人は山村組の某元組員。

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