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2005年12月 8日 (木)

コイズミ対任侠道(2)

昨日、中途半端に終わった「任侠精神」復活論について。

任侠=極道=(暴)として語られることがほとんどだが、ちょっと、かなり違うんでねえか。

(暴):資金源は必ずしも非合法活動ばかりではないが、最終的な紛争の解決手段に暴力を用いる反社会的集団。堅気さんからも遠慮会釈なしに金品を収奪する。
極道:いわゆる博徒・遊び人。賭場を持って博打を開帳し、上がってきたテラ銭を収入とする。素人さんに博打を楽しんでもらい、そこで落ちたカネでメシを食っている、つまり、人の道のいちばん端っこをひっそりと歩かせてもらっているという意味で「極道」。

ただこのご時世、博打だけでメシを食っていける組織が本当にあるのかどうかについては、かなり懐疑的にならざるを得ない。実際のところ、ほとんどの組織は(暴)だろう。

で、最後の「任侠」だけど、以下どこかのサイトに書かれていた記事を要約・加筆させてもらったものである。悪いことに、引用元がわからんようになってしまった。申し訳ない。

「任侠道は儒教と同じく・仁・義・礼・智・信の基本的精神で成り立つものである。

『仁』とは、相手を思いやる心、優しさ、博愛、時として己を犠牲にできる潔さ。これはキリスト教の愛であり、仏教の慈悲である。儒教では仁を「王者の徳」といい、上に立つ人が持たなければならない道徳心である。
『義』とは、人として守るべき正しい道徳のことである。清廉潔白の精神、強きを挫き弱きを守る、我を抑制し情け深く義を守る精神。要するに義理人情といえよう。
『礼』とは、社会秩序を保ち、対人間を円満維持する為の作法。他者の存在を認め、敬意を称すること。礼節をもって、異なる思想も理解・尊重する態度である。
『智』とは、物事の道理を正しく判断する知恵のことである。
『信』とは、誠実で嘘偽りの無い心。信は力なりの言葉通り、信用・信頼・信念は己の力である。人間はいつも心の底に信を求める。

いや~、良い言葉じゃないの。これを単なる言葉遊びに終わらせることなく、少しでも理想に近づけるように自分を戒めていかんにゃならんのじゃなかろうか。
そうすりゃ、詭弁・奇策を弄して大衆を欺いたり、欲望のおもむくままに他者を傷つけ殺める行為がどれほど恥ずべきことか気づくというもんじゃろ。

コイズミ改革より、任侠精神の方がよっぽど日本、いや地球の将来に役立つで。

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